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ウィーンへ~「革命」の誕生

ワルシャワ音楽院を卒業したショパンは、ピアノ演奏家としても作曲家としても有名でしたが、世界へ目を向けました。

それは、父親がフランス人であったことや、ベルリン訪問で世界の大きさを体感したことも多分に影響してるでしょう。

はじめ、ショパンはオーストリア帝国の首都ウィーンへ向いました。1829年7月、ショパン19歳の夏のことでした。ウィーンでのはじめての演奏会は大変好評で、その後、もう一度演奏会を開きました。ショパンの演奏は「繊細で弱い」との批評もありましたが、2回の演奏会は成功といえるものでした。

9月に帰国したショパンは、前回の成功を胸に、翌年11月に再びポーランドを発ちました。
しかし、ショパンがウィーンへ到着してからたった1週間後、ワルシャワでロシア帝国に対する反乱が起こったとのニュースを聞きます。

オーストリアでのポーランドに対する政情の悪化から、ショパンは演奏会をひらく機会もないまま、故郷を想う不安な心を抱えながら、およそ9ヶ月間ウィーンに滞在し、翌年7月にパリへ向うことにしました。

そしてその途中、ドイツ連邦のひとつヴュルテンベルク王国のシュトゥットガルトという街で、ロシア帝国軍によるワルシャワ陥落のニュースを聞きました。驚きと絶望、そして故郷の家族や友人たちとも連絡の取れなかったショパンの怒りと孤独は、名曲「『革命』のエチュード」を生みました。ショパン21歳の晩夏のことでした。


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