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ショパン~パリで眠る

パリに戻ったショパンは体調が思わしくなく、またパリの政情も不安定になったことから、思うように弟子たちにレッスンをすることが出来なくなり、また演奏会も開けなくなり、経済的に苦しくなります。

そんな中、彼の教え子のひとりであるスコットランドの富豪の令嬢ジェーン・スターリングの招きに応じて、イギリスへ渡ります。

演奏家としても作曲家としても有名だったショパンは、ロンドンで滞在期間半年ほどのあいだに8回もの演奏会を行ない、大成功をおさめます。この時の演奏会の頻度は、ショパンの生涯を通じて考えてもとても多いものです。ショパンにとって演奏会の開催は、経済的な助けにもなるものでした。

その後、スコットランドを訪れましたが、たび重なる演奏会の開催で無理をしたショパンにとって、深い霧と寒さは辛いものであり、病状をとても悪化させ、パリへと戻りました。ショパン38歳の晩秋のことでした。

体調がますます思わしくなくなったショパンは、仲の良かった姉ルイーズに「パリへ来てほしい」と手紙を書きます。そして1949年10月、姉と友人たちに看取られ、ショパンは39歳の秋に永遠の眠りにつきました。

ショパンの葬儀はパリのマドレーヌ寺院で行なわれ、パリに埋葬されました。

しかし、ショパンの心臓だけはポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に安置されています。

20歳でワルシャワを発ち、二度と祖国の地を踏むことのなかったショパン。人生の半分ずつを過ごしたワルシャワとパリの地に、いまは静かに眠っています。


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